戦う君よ、世界を愛せるか。

飲めないのに酔っぱらっているDDがこちら

長らく担当1人と事務所DDを貫いてきたオタクが関西掛け持ちを決めた話〜前編〜

 
 
どうも、お久しぶりです。今年に入って初めての更新ですね。めちゃくちゃ空きました。
 
まぁ今回までの間にも、蜘蛛女の事とかジャムの事とかデジチケの事とか、色々下書きに眠ったままのモノもあるんですが、結局完成までには至らず…。今この文章を打っている瞬間も、実際公開まで至るかどうかはわかっておりません。
 
 
 
さて、前回前々回とジャニーズWESTについて長々書いておきながら、最後はふわふわしたまま終わり、結局その後どうなったのか。Twitterを見てくださってる方はご存知かもしれませんが、ハイ、タイトル回収どーん。
 
 
 
 
掛け持ちすることに決めました。
 
 
 
 
元々DDではありましたが「担当」は降りずブレずに大倉くん一筋十数年。そんな私がまさかここにきて、担当が増えるなんて思いもしませんでした。
 
 
 
 
ジャニーズWESTに出会うまでは。
 
 
 
 
 
と、いうわけで今回は、一旦自分の気持ちの明文化の為につらつらと書きたいと思います。
 
実は、熱量の多い所謂『担降りブログ』を読むのが結構好きで、降りる気もないのに「いつか書いてみたい…!」という謎すぎる憧れを抱いていたのですが、今回は結果的にそこまでは至らず『掛け持ちブログ』を書くことになりました。
 
しかしまぁ、私にとってこの『掛け持ち』と云う決断は、長きに渡るジャニオタ人生の中でも一大事。熱量的には変わりないと思っております。長文書く気満々です。お暇じゃない方は一旦画面を閉じましょう。
 
(後記:そして思ったより長くなってしまったので、前後編に分けました。掛け持ちについてを読みにきた方はこちらをすっ飛ばして後編にいったほうがいいかと思われます)
 
 
 
 
さて、と。まずどこからいきましょうか。
もうせっかくなんで、私のジャニオタ人生イチから振り返ってみたいと思います。
 
 
 
 
 
 
私がジャニオタになったキッカケ
 
 
キッカケと言っても、よく見る「○○落ち」「○○出」なんてものはありません。
なので、オタ同士が集まった時に必ず話題に上がるこのキッカケ話、私はいつもうきうきしながら皆さんの話を聞く一方で、羨ましいなぁと思いつつ「私、気付いたらジャニオタだったんですよね〜」で会話を終了させてしまうのが常でした。(悔しい、私だって語りたい。)
 
 
というのも、私の母は近藤真彦さんをはじめ、光GENJIや少年隊で青春を過ごしてきた人で、私が物心つく頃にはKinKi Kidsの茶の間ファンでした。
 
だからもうDNAというか、血は争えないというか、
 
 
細胞レベルでジャニオタ、してる。(断定)
 
 
んですよね。
 
そんな母がいる我が家は、ディズニーやジブリ映画よろしく、少年隊のPLAY ZONEが棚を陣取り、基本的にどのジャニーズも録画してあるMステのVHSがズラリと並び、車内に流れる音楽は主にKinKi Kidsという、まさにジャニオタ養成所のような家庭環境でした。
 
これで娘がジャニオタにならないって方が無理な話じゃないですか。
 
必然的に初恋の人が堂本光一さんになった私は、その後もずっとKinKiが好きな幼少期を過ごしていました。
 
しかし、その頃の私にジャニオタという自覚はありません。ジャニオタと云う言葉すら知りません。
今の小学生はどうか分かりませんが、まだまだインターネットも発展途上であった私の頃の小学生ならば、まぁ知らなくて当然かと思います。
 
 
そんな無自覚ファンのまま時は流れ、当時KinKi(光一さん)のバックについていたKAT-TUNにハマるのと時を同じくして、現在の担当、関ジャニ∞にもハマります。
 
ここら辺も正直キッカケは曖昧です。
ただ一つ確かなものがあるとすれば、当時クラスの子とやっていた交換ノート(手元にあるということは私が止めた)を数年前に発見した際、私の担当ページに書かれていた
 
 
「関ジャニ8ランキング!」
「一位 すばるくん♡〜略〜八位 大倉」
 
 
八位 大倉  (現担当)
 
 
これが全く記憶にないんだから、深夜に一人で笑い転げました。私、エイトはすばるくん入りだったんだ…(数年越しに知る真実)
 
しかしこれを書いたと思われる同じ年に入った松竹では「忠義♡忠義♡」言っていた覚えがハッキリあるので、その間私の身に何が起こったのだろうか。私は一体何出の大倉担なんだ…(誰か教えてくれ)
 
そんな、キッカケもタイミングも定かではないので、敢えて「十数年」と云う曖昧な数字を使っているのだが、そんなこんなで今日まで大倉担としてジャニオタ人生を歩んできた次第である。
 
 
 
 
 
ジャニーズWESTとの出会い
 
 
あれよあれよと時は過ぎ、いつしか立派な社会人になった私は、自由な時間と自由なお金を手に入れ、オタ卒するどころかどんどんジャニオタを極め、DDにも拍車がかかっていった。(いつかジャニオタを卒業出来るだろうと高を括っていたあの日の私ごめんな、無理やで…)
 
そんなDDは、ついに禁断のジャニーズWESTに手を出します。
 
経緯については前々回書いたので省略。

 

  

今読み返してみても、熱量がすごい。まさに真っ逆さまに坂を転げ落…否、最早スカイダイビングの勢いで落ちていっている様は我ながら愉快である。そうでしょ、ジャニーズWESTいいでしょ。to 自分 from 自分
 
そして、ジャニオタという特殊趣味で培ったフットワークの軽さと、今行かなければ必ず死ぬ程後悔するという、こちらも同じく培われた直感で、私は初めてジャニーズWESTのコンサートへと足を踏み入れてしまうのである。
 
 
 
 
 
一度は担降りを覚悟したXmas
 
 
ジャニーズWESTの初ドームに行きたいと思い立った時には既に、24.25と関ジャニ∞の名古屋でのコンサートに相方と入ることが決まっていた。
しかし、上記のようにどうしてもジャニーズWESTの初ドームが諦めきれなかった私は、相方に愛想を尽かされる覚悟で
 
「ごめん…実はどうしてもWESTのライブに行きたくて。25日の追加公演なら夜のエイトまでに間に合うから、その間一人で時間潰してもらうことになるんやけど、ちょっと抜けてきてもいいかな?」
 
と打ち明ける。今思えば、遠征中にちょっと抜けるってなんだ、という感じだが、そんな身勝手な私に対して相方はケロリと
 
「うん、それは行かな後悔するよ、行っといで。てか、なんなら着いてくよ?」
 
と、予想外の返答をくれた。彼女はWESTに関しては『ええじゃないか』くらいしか知らないレベルだったのだが、それでも「面白そう!」と、本心か優しさか、当日をとても楽しみにしてくれていた。
 
 
 
そうして迎えた2016年12月25日。
 
初めてのジャニーズWESTのコンサートは本当に本当に楽しくて、心が全身が、端から端まで幸せで満たされた。
 

 

 
 
しかし余韻に浸る間もなく、急いで名古屋へと戻り、そのままエイタメコンが始まった。
 
 
 
正直な話をしよう。
 
エイトにもスタッフさんにも、来られなかった人にも失礼であることは重々承知の上で。
 
この日の私は、コンサートのOPからずっと上の空だった。
そんな悪い席でもなかったのだが、双眼鏡もあまり使わず、何を見ても全く集中できず、ただボーッとペンライトを振るばかりだった。
 
目の前では大好きな関ジャニ∞が、大倉くんがキラキラと歌い踊り笑っているのに、考えているのは数時間前に見たジャニーズWESTのことばかり。
 
私は何をやっているんだろう。馬鹿じゃないの。なんて自身を罵ってみても、エイトを見れば見るほど感情はぐちゃぐちゃになっていく。
 
 
そして次第に頭の中をぐるぐると巡る『担降り』と云う、重い三文字。
 
 
元々この時、エイタメコンには少々不満があった。
と、言うより数年前から関ジャニ∞に対しての不満や文句が、自分の中で積もりに積もっていたのだ。(過ぎたことなので内容は省きたい)
勿論それを沢山の人の目に触れるTwitterなどで言うことは控えていたのだけれど。身近で会う仲間にはよく愚痴をこぼしていた。
 
「文句があるなら降りればいい」
勿論そうだ、正論そのものだ。しかしそう簡単に正論だけで片付けられる程オタク心は単純ではないことを、恐らく大半の方は自身の身を以て経験済みだと思う。
 
 
とは言え、それは2016年初めの方までの話。
 
時系列が前後してしまうが、そんな不満だらけの期間は、元気コンオーラスでの大倉くん不在事件を受け、一旦終止符がうたれていた。
 
それからは割と穏やかな気持ちで関ジャニ∞を見ることが出来たし、オーラス円盤化や、発言諸々でたまに文句が顔を出すものの、シングル「罪と夏」や「NOROSHI」、また「クロニクル」や「関ジャム」といった番組で、明らかにここ数年の関ジャニ∞とは違う風が吹いてきていることを実感し、純粋に楽しくエイト担をすることが出来ていた。(だからこそジャニーズWESTに手を出したのだけれど)
 
 
そんな経緯があり、言いたい事はあれど比較的心穏やかに観ることが出来ていたはずのエイタメコン。
なのに、目の前の関ジャニ∞に全く集中出来ない自分に愕然とした。
 
 
こんな気持ちになってしまうならば、いっそ降りてしまった方がいい。いい機会じゃないか。何も関ジャニ∞を嫌いになったわけじゃない。
もう十分だ。もう十分、関ジャニ∞には色々な夢を叶えてもらった、色々な景色を見せてもらった、沢山の思い出をもらった。だからもう…
 
 
そう、心の中で決断を下そうとしていたライブ終盤。
幕を引きかけた私を、本当にギリギリ既のところで引き留めたのは、最後の曲前の挨拶。
 
それは他でもない、自担の大倉くんの言葉だった。
 
 
 
大倉挨拶
 
「今年最後のライブをこうやってドームでやれること、とても感謝しています。今までもこの素敵な景色を沢山見させてくれて…今もですけど、ひとつ夢が叶うと、次の夢が見つかるんですよね。だから来年もこれからも、もっと夢を叶えていきたいので、僕らをよろしくお願いします。」

 

 

 

 

 
 
当時のレポなのでざっくりとした内容だが、見てわかる通り、特別深いことを言ったわけではない。
 
けれどこのエイタメコン、全ての公演で最後の挨拶を担当した大倉くんは、本当にその場その場で言うことを考えているようで、公演ごとに話す内容は結構変わっていた。
 
それが、このタイミングでこの言葉である。
 
昔から、大倉くんは「夢」と云う言葉を頻繁に使う人だった。決してその内容を具体的には教えてくれなかったけれど。
それでも、大倉くんがその「叶えたかったであろう夢」を叶える瞬間を、私は幾度も見させてもらってきたつもりだし、それがたまらなく嬉しくて、私が大倉担を続けていたひとつの理由でもあった。
 
 
そんな大倉くんが改めて口にした「夢」
 
 
あぁ、私はまだ関ジャニ∞と一緒に見たい夢があるんだ。そう気付いてしまった瞬間、ライブでこんなに泣くのは何年ぶりだろう、自分でもびっくりするくらいボロボロと涙が溢れてきた。
 
 
「駄目だ。やっぱり私は関ジャニ∞を、大倉くんを降りられない。」
 
 
本編最後の曲「NOROSHI」が会場中に響く中、全く泣くような曲ではないソレで号泣する私に、周りの人は恐らくドン引きしていただろう。(ごめんなさい)
 
 
 
 
 
ライブが終わった後、半ば放心状態であった私に、色々察したのであろう相方が声をかけてくれた。
 
「降りてもいいんだよ?」
 
相方とは学生時代に出会い、私が関ジャニ∞へと引きずり込んでからというものの、もう十年、行動を共にしてきた。
 
『自分が引きずり込んでおきながら、無責任にも自分だけ降りるなんて』と、私が引け目を感じてそれが枷になっているのではないかと、きっと彼女はそこまで汲んで「(私のことは気にせず)降りてもいいんだよ?」と言ってくれたのだと思う。
 
正直なところ、確かにそれは多少なりともあった。
けれど私はその言葉を本人からもらうことで逆に、そんな引け目は関係なく、ただ単純に私自身の気持ちで、大倉くんを降りられないんだと確信した。(本当に、彼女には色々含め感謝してもしきれない)
 
 
そうして2016年のXmasを終える頃には、何もかも吹っ切れ「私はDDで、ジャニーズWESTも特別大好きだけれど、担当は関ジャニ∞の大倉くん」という、他から見れば清々しい程中途半端な、けれど自分にとってはこれ以上ない明確な答えを以って、担降りという危機を回避したのであった。
 
 
 
後編へ続く